甲府から自転車で佐渡島へ 3日目 前編
3日目
いよいよ佐渡島へ!
朝8時前に宿をチェックアウト。
昨夜から降り続けた雨は
一旦あがり曇っている。
手際よく自転車を組み立てる。
佐渡汽船がフェリーを
出している直江津港へ向かった。
チケット売り場で
予約していたチケットを引き換える。
乗船まではまだ時間があるので
お土産を物色。
時間になり
自転車は一番先に乗船開始!
船員さんは自転車が
倒れたり傷が付かないように
毛布やロープを使って
丁寧に固定してくれるのだ☆
座席はどうせならと
一等席にしておいたっ!
プチセレブ感を満喫。
全席指定で一番前だ☆
豪華なシートで快適!
出港は9時30分。
11時10分着の
約1時間40分の船旅。
まずは佐渡汽船名物という
カレーを食す!
これはコクがあり
本当に美味しかった!
そして船の後部で景色を楽しむ。
空は晴れ間も見える
これは佐渡も晴れかなぁ・・
と思いを馳せる。
そして
いよいよ佐渡島に到着!
・・豪雨だった。
すぐにでも出発したかったが
あまりの土砂降りに躊躇し
雨が弱くなるのを少し待つことにする。
その時間でお土産売り場を物色し
お土産を購入して甲府へ郵送した!
30分が経過し
雨が少し弱くなってきたので
12時前に出発!
今から佐渡島の南を経由して
最北端の二ツ亀まで120kmを走る予定。
走るだけなら全く問題がないが
いろいろ見たいのであまり時間がない(^^;)
さらに今夜の宿で食事が
提供されるタイムリミットが
夜7時なのだ!!
絶対に美味しい料理が食べたい!!
急いでペダルを回す!
水たまりの水を
弾き飛ばしながら走り出す。
初めての佐渡島。
やはり本土とは何か空気が違う。
時間の流れもゆっくりに思える。
道行く人がせかせかしていない。
これが佐渡なんだなと
勝手にわかったような感じで
走り続ける。
矢島に寄った。
たらい舟に乗れる名所。
でもすぐに出発。
序盤に寄りたかった
宿根木(造船の村)は走り抜けて
最終日に回ることにする。
するとここで
雨が上がってきたので雨具を脱いだ。
雨具は風を通さないので
脱いだら一気に風が全身を通り抜ける感じだ。
海岸線の風が気持ちいい。
このまま佐渡の南端を抜けて
北上しようとした時・・
通行止めの箇所が!!
仕方なく指示通り
迂回ルートに回るが
そこは山だった。
ええいっ!
ヒルクライムでも何でもこいっ!!
海岸線を走りたかったのに
なぜか坂道を登っている(^^;)
旅はわからないものだ。
さらに意外と登っていた。
おかげで迂回路を山を抜けるのに
40分くらいかかってしまった。
迂回路を抜け国道に出る。
国道は交通量が少なく
意外と走りやすかった。
ここで
どうしても行きたかった
真野御陵に立ち寄る。
かなりマニアックな場所だ。
真野御陵は
順徳天皇が火葬・埋葬された場所。
(ご遺骨は京都へ移されるまではここに埋葬)
順徳天皇は1221年の
承久の乱で北条氏に破れ
この地で火葬埋葬されたらしい。
ところで
ぶっちゃけ言うと順徳天皇は
そんなによく知らないし
興味がないのだが
幕末にこの地を訪れた
吉田松陰が大好きなのだ。
(ここにその石碑があるのです)
吉田松陰といえば
幕末の思想家。
佐久間象山の弟子。
実行力と知的好奇心の塊。
何せあのペリー来航の
黒船に密航を企て
実行したのだから(^^;)
「日本は眠りすぎた!
外国へ行って学び、強くならなければ
日本は異国の植民地にされてしまう!」と考えて
ペリーにアメリカへ連れて行ってくれと
直談判したのだからガチで半端ない!
熱すぎますって松陰先生!
ちなみに
佐渡に来たのはペリー来航の
前の出来事ですが
世界を知るために
自らの足で日本中を見て回る途中で
佐渡にまで立ち寄っていたのだ☆
果てたことに拝み泣いたという。
そして順徳天皇を思った
詩をしたためたのだ。
観光案内の方に話を伺うと
その松陰先生の詩を後世に残したいために
私財で詩碑を建てたそうです。
さらに吉田松陰先生が
後日書いた「東北遊日記」には
本土から見える佐渡へ実際に渡ってみて
日本の造船技術の未熟さに
相当の危機を抱いたとか。
異国の船はたやすく日本へと
やってくるのに!と。
松陰先生すみません
私は佐渡汽船でやってきました
とても快適でした(^^;)
そんな松蔭先生の史跡に
実際に触れることができ
佐渡の景色だけではない
重いものも感じられた。
3日目 後編へ続く。